冬海ゼミの卒業生のみなさん、それより以前に西谷の授業を聞いていただいたみなさん、アクセスしていただいて本当にありがとうございます。さて、この卒業生のページではみなさんからいただいた『冬海ゼミでの思い出』や『西谷の授業の思い出』を中心としたメールを紹介していきたいと思います。できるだけこまめに更新していきますので、tocai@tocai.com までメールを頂戴できれば幸いです。なお、ご自分のホームページにリンクをご希望の方やメールのアドレスをお知らせになりたい方、また匿名をご希望の方はそのむねをお書きください。
ずっと昔の卒業生の方で、冬海ゼミの新しい教室をご存じない方は、冬海ゼミについてのページにその写真があります。お時間があるときにご覧ください。

西 谷 友 孝


尾 崎 由 典 さん (冬海ゼミ 10期生 94年卒)

西谷先生お元気でしょうか。ふと、ホームページのことを思い出しメールをさせていただきました。
私はといいますと、大阪市立大学の応用化学に進学し、4回生でホームページにはまりその縁で、雑誌や本を出版したことから、情報系の会社に進学しました。
何回か転職を繰り返し、マイクロソフトに転職しました。しかし、体調を崩して現在は大阪のソフトハウスで細々と働いています。
今年の4月に結婚して、今月新しい家族を授かることになりました。
いろいろと経験しましたが、やはり指導していただいたころと変わらず私は好きなこと以外のことをするのは苦手のようです。
実家に帰った折には、またご挨拶させていただきたいと思っています。

yoozaki@gmail.com

《マ、マイクロソフトですか。MS−DOSのころからお世話になっています。もうお好きなことだけをしてもいい年齢になられたと思います。下にご紹介しているのは、西谷の返信に対しての尾崎さんのお返事の一部です。/西谷》

新しい家族は、まだおなかの中にいるようです。おそらく、10月ごろに授かると思います。
僕はといいますと、3年以内にシリコンバレーで働けないかと画策しているところです。
最近丸くなったのか、技術とか名誉とかよりも人との交流がなにより大事だと思うようになりました。

《シリコンバレーでのご活躍、楽しみにしております。/西谷》


後藤田 久仁子 さん (冬海ゼミ 5期生 89年卒)

先生、こんにちは。おひさしぶりです。
なんと昨日まで超遅ウインドウズ98に泣かされていたのですが、やっと壊れてくれました!(あはは(^O^)/)
念願の光ファイバーなどという時代の波に乗ることができ、早速こちらのページにアクセスしました。
懐かしい方々のメールを拝見し、昔を懐かしく思って涙が出そうでした。
今、5歳になる息子と2歳になる魔女っ子に振り回される毎日です。
5歳の息子には、園から戻って毎日決まった課題をさせておりますが、楽しく進めるのが難しいのなんの・・・思わずキレそうになりますが、怒りの鉄拳をこらえなんとか、こなしている毎日です。あとは、朝早く起きて晩早く寝る、三食しっかり摂らせる(特に朝食)、そういったリズムを大切にしています。
この先、私たちの時代との違いに悩まされそうですが、ひとつずつ乗り越えて行けたらいいなぁと。
あの頃の数学(夏のプリント)は、私の宝物としてまだ持っています。
子供たちがその時期がきたら、ちょっと自慢してみようかななんて(こんなにやったんだよー!と)
ひそかに考えています。あのころやった歴史の年号、因数分解、ハックルベリー(?土曜日の英語)など
本当に懐かしく思います。今でもできるかなぁ。。。
子供と一緒に、私も毎日成長していきたいと思います。
今は百人一首を子どもと暗唱しています。やっと30首まで来ました。まだまだ70首、先は長いですが
一歩一歩(一首一首)、毎日少しずつの積み重ねを大切にしていこうと思います。
毎日の生活を丁寧に過ごしていけたら、それが幸せなのかもなぁと感じています。
(昨年、年末体調を壊し、健康のありがたさに気付きました(+_+))
先生、お体にはお気をつけて下さい。またお会いできる日を楽しみにしております。
今年もまたこの季節、冬海ゼミの今の中学生全員に春が来ますように。心から祈っております。

《ウインドウズ98は名作でしたね。その後の欠陥品Meに比べると。
まだ数学のプリントを保存していただいてるんですが。汗顔の至りです。毎年、プリントを改良するという『ヘキ』がありますので、後藤田さんが保存しておられるプリントと現在のものとは全く違うかもしれませんね。
お子さまのご様子が目に浮かぶようです。お二人の健やかなご成長を心よりお祈りしております。(お互い体調には十分気をつけましょう。)/西谷》


小豆島 功 さん (冬海ゼミ14期生 1998年卒)

西谷先生お久しぶりです
中学教師を目指して、鹿児島の大学を卒業。この一年はバイトしてお金をためていました。根本的に教育が何を目指すのか、を考えるために自分なりの方法で勉強するための元手を稼いでいました。ようやくこの四月から、いろいろ考えたすえ、高度経済成長期ベトナムと福祉教育国家デンマークで、目指す社会ための教育のあり方を学びに行ってきます。日本との比較の中で得られるものは多いのではないかと思っています。旅立つ前に懐かしい学び舎の近況を知ることができて、なんだかホッとしました。

ホームページ目を通しました、この先日本の教育は本当にどうなんのか、心配でなりません。迷走する日本の中で、せめて子供たちには迷走する教育に振り回されてほしくない、卒業生の皆さんが子供を育てられながら書いたメールの内容も良くわかります。学力を削ってでも欲しかったゆとりや社会性は得られたのでしょうか。教師になりたいと願ったのも、西谷先生の教育熱にあてられた影響が強いです。冬海ゼミでは、勉強する楽しさを教わりました。悔しくも学校では教われなかったことです。将来、一癖ある私塾の講師も考えましたが、いまは、こだわりの公立教師で落ち着いています。いろんなお話を伺いたいですが、今見直せばゾッとするスケジュールですね、お忙しいと思います、お体に気をつけてください。

isao1300@hotmail.co.jp

《私の「教育熱にあてられた影響」で教師になりたいとお思いになったとは、いささか面はゆいですが、安価で質の高い公教育は日本のいしずえであり、誇りです。あなたのような「こころざし」のある先生が、一人でも多く教壇にお立ちになることを願っています。ベトナムとデンマークの実情をご覧になり、ひとまわりもふたまわりも大きくなって日本に戻ってきてください。ただし、パスポートと飲み水にはくれぐれもお気をつけください。ご帰国後のお話を楽しみにしております。 /西谷》


西田恵理さん (1981年卒)

「新指導要領」には私も頭をかかえています。4月からの週休2日制に始まり、宿題の減少、総合科の導入・・・小学校からすでに私学とは雲泥の差がついてしまうのですね。子ども三人をもつ親としては経済的な面もありますし、本当に頭をかかえています。

eri-n@oct.zaq.ne.jp

《新指導要領準拠の参考書が書店に並び始めました。詳しく解説した参考書は皆無に近く、すべてが厚みのない、字の大きな、絵の多いものでした。参考書の情報量はかつての2分の1ぐらいだと思います。中学生のチャート式の帯に「大きいサイズで本体価格 XXX 円!こりゃ、おトク!」とあったのには「時代だぁ。」と驚きました。

ところで、メールをくださった西田さんはウェブサイトを開いておられます。みなさん、次のバナーから、ご訪問ください。/西谷》


H.Y.さん (1982年卒)

ご無沙汰いたしております。偶然こちらのHPを見つけまして、あまりのなつかしさに突然メールさせていただきました。
私は、今を去る事20年ほど前にお世話になりました。卒業後も長い間、楽しい年賀状を送ってくださって年頭の楽しみの一つでした。
ありがとうございました。
あれから20年。色々ありました。子供も二人おります。中学一年生の息子と小学6年の娘です。難しい年頃で悩みはつきません。
私は、あれから勉強には縁のない青春時代を過ごし、20才の時結婚し、失敗を繰り返し、迷いながらも30歳にして看護婦になる決心をし、現在は、准看護婦として働きながら正看護婦めざして勉強中です。30超えての制服姿は、かなりキツイものがありますが・・・・
これも、若いときに勉強しなかった天罰なのかもしれません。
もともと基礎学力がないのと加齢による記憶力の低下で、勉強が思うようにいかずつい、子供に「今、勉強せんかったら、お母さんみたいに苦労するで!」とプレッシャーをかけすぎてしまいます。子育ては難しいですね。本当は、「健康であってくれたら、それだけでいいのよ。」って抱きしめたいのになぜか口からは「天王寺以外は高校ちゃうで!」とか勝手な言葉が出てしまうんです。
子供のことも心配ですが、私は将来、看護大学に行きたいと思っています。看護大学編入には英語がつきものですが、中学一年の息子に教えられてるありさまなので前途多難です。私の大学編入の勝手な計画は、息子が大学を出てからと考えているので10年計画で頑張ります。
では、先生これからもお元気でご活躍くださいませ。

*     *     *     *

今日は、娘の中学の制服の採寸に行きました。いよいよ娘も中学生になります。娘の制服姿が、まぶしくて何か言ってやりたいと思うのですが「中学生になったら一生懸命勉強してや!」と言ってしまいました。他に学んでほしいと願うことは、たくさんあるのですが・・・・・私も、親として新指導要項には納得できません。
一部のエリートとその他の人・・・・・・
もちろん、その他の人として自分を大切に生きていけることが望ましいと思いますが、なんだかんだ言っても学業成績によって序列づけられ
ますます人間としての自己の価値観の形成を困難にさせているように思います。
「ボケボケしてたら、エライ目に遭わされる!学校の先生の耳障りのいい言葉に騙されたらアカン!」と子供たちを人間不信に陥らせてしまうような言葉も吐いてしまいかねない状態で、とても不安です。これから、教育はどっち向きにどこにいこうとしているのでしょう・・・・?親としてなにがしてやれるのでしょうか?あれこれ心配事が多くって、白髪や小じわがどんどん増えてしまいます。
また、ときどきメール送らせていただいてもいいですか?私、先生に覚えていただいていたこと嬉しくて・・・・真面目に生きなアカンなって思いました。

《ちなみに、冬海ゼミでは「新指導要領」にはあんまり準拠しません。/西谷》


新 納 まゆみ さん(旧姓 牟禮さん 冬海ゼミ5期生 89年卒)

ご無沙汰しています。この時期先生は超〜忙しく、ハラハラ・ドキドキしている毎日ではないでしょうか。私は、只今育児休業中ですので、専業主婦しております。でもあまり性に合わないのか、働きたいなあと思ったりしています。
そうそう、先生にひとつお伺いしたい事がありまして、最近の小学校・中学校はどんな感じかなあなんて。3歳の息子ですが、あと3年もすれば小学校です。カリキュラムも昔とは随分違うと思います。公立小学校・中学校で充分な学力がつくのか少し気になります。まだ3歳なのにバカじゃないかと思いますが、幼稚園もどうするか気になるところでして・・・。何かアドバイス下さい。

hatch@capella.freemail.ne.jp

《西谷からのメールの一部もご紹介します》
> そうそう、先生にひとつお伺いしたい事がありまして、最近の小学校・中学校はどんな感じかなあなんて。
とのことですが、ご存じのようにこの4月からの指導要領改訂で小中学校の教育に対する政府のとらえ方がよくわかると思うんです。というのは、今度の指導要領には「貧乏人は難しい勉強をしなくていい。」と書いてあるように思うからです。
最近、政治家や上級公務員の世襲が問題になりますが、そのベースとして、学歴の世襲制があります。つまり、「東大出」の子供は「東大出」ということです。だから、高学歴の両親の家の子供は、幼稚園から私立へ通い、有名私立高校から国立大学へという道筋をたどっています。そんな「階級」の人たちが今度の指導要領改訂をしたわけですから、普通の人たちの学力低下など眼中にありませんし、いい大学を受験することができるだけの情報を公立高校で与えられるか、という点にも全く配慮していません。
今、あなたのときよりも、公立中学では授業崩壊が進んでいます。できることなら、きちんと予算を組んで、その子の学力にあった私立の小学校、あるいは小学校は公立にしておいて、4年生ぐらいから準備をして私立の小学校へ入学させることをお考えになったらどうでしょうか?(幼稚園)・小・中・高と私学へ通わせるのは、経済的にも(もちろん、あなたが、ではなくて、一般的にですが)大変ですが、元は取れると思います。


S.S.さん (冬海ゼミ 6期生 1990年卒)

年賀状、ありがとうございました。サイトも、拝見させていただきました。当時の先生のパワーも衰えず、ますますご活躍なさっているようですね。
当方、早いもので27歳、結婚4年、子供2歳、年月が経つのは、早いですね。昨年より、主人の会社からの留学のため、サンフランシスコ近くに住んでいます。ようやくこちらの生活にも慣れてきたところです。もうすこし(いや、もっと・・・)英会話ができれば・・・・主婦になって眠っていたブレインを、叩きを越しているところです。
ところで、サイトによる、家庭教師紹介システム、すばらしい企画ですね。私も学生時、アルバイトで家庭教師をしていたのですが、生徒の親が負担する金額に驚いた記憶があります。(自分はそれほど貰っていないのに・・・)私も、日本に帰国した際は、家庭教師として登録させていただこうかしら・・・なんて考えています。
それでは、受験生のご健闘を!!


湯 浅 充 行 さん (冬海ゼミ 15期生 1999年卒)
 
西谷先生、大変ご無沙汰しています。明けましておめでとう御座います。
3年前には、高校受験していてた身なのにもう大学受験生になってしまいました。メールでは失礼とは思いますが、大学に合格したことを報告させていただきます。 
自分の受かった大学は、岡山県の倉敷芸術科学大学(工芸学科)で、1995年に出来たまだ新い大学なんでご存知無いと思いますが、この学校は吹きガラスの設備が日本一というすばらしい学校なんです。ちなみにAO入試で受かりました。 
高校では、市立高校の展覧会で優秀賞を2年と3年時にもらい大阪選抜作品に選ばれたこともあります。去年の夏には、大阪府代表で第25回全国高等学校総合文化祭美術工芸部門に出させてもらい博多まで行ってきました。 
工芸高校は、いいところでした。まず講師の先生方が職人の先生方ばかりなので、専門的知識を付けるには、うってつけでした。
それで、入試のときも専門高校枠があって特別推薦とか公募推薦が受けやすくなっていますし就職も不景気なのにそれなりに大手メーカーとかからも着てるみたいですし。専門高校に行きたい子がいたらバンバン工芸を勧めてください。

afbmm001@oct.zaq.ne.jp


Aさん (冬海ゼミ16期生 2000年卒)

清風高校での生活について報告します。
清風高校は一言で言えば予備校みたいなものです。勉強以外のことは殆どしていません。僕も3年間ずっと勉強ばっかりしていると思います。
理数科は一日7時限目まであり、毎日英単語か英熟語のテストを終礼時に行います。これに加え金曜日には一ヶ月に一回有名予備校の英文法の先生が特別講義を行う8時限目があります。その8時限目の日は帰宅時間は7時ぐらいです。冬海ゼミでの中3コースと同じぐらいかそれ以上の忙しい日々がずっと続きます。宿題もかなりの量が出るので(特に英語)それをこなしていくので精一杯です。

清風高校は2年生から国立文系、国立理系コースに別れ3年生ではさらに私立文系コースも設置されます。僕は国立文系のコースに進むつもりですが、学校は理系の方が圧倒的に多く全体の5クラスの内、4クラスは理系、1クラスが文系になる予定です。(文系は1クラスしかないから成績の上位の者も下位の者も混ざってしまうので、その1クラスをさらに二つに分ける様です)やはり国立は理系の方が進学率は良い様です。去年の阪大の合格者21名中、文系はたった4人でした。それと、今年の理数科(僕の学年です)から、かなり前年までの理数科と内容が変わった様です。今年の理数科は京大20名、阪大50名という理数科史上最高の成績を出すつもりらしいので、前年までに比べて厳しくなった様です。倶楽部の普通科の友達の話では、普通科も理数科に影響されて去年の後半から勉強量が増えたらしいです。
理数科では倶楽部に入っている者の方が珍しいぐらいです。僕は趣味の「模型・動画(=アニメ)」倶楽部に入っています。(1年生は理数科3人で普通科は6人入部しています。6カ年は0です)運動系の倶楽部に入ったら清風の一番有名な行事の「四天王寺どやどや」に強制参加させられます。(このことは倶楽部の入部届けを出し終わってから言われました)「どやどや」は毎年1月14日に四天王寺で行われます。簡単に説明すると、この寒い1月にふんどし一丁の姿になり、水をかけられながらお札を取り合うというものです。この行事は毎年希望者だけでは全く人数が足りないので清風南海の運動系の倶楽部と共に清風高校の運動部が参加するようです。
清風高校に「楽しい高校生活」を期待すると絶対裏切られると思います。僕も友達もみんな「楽しい高校生活」を期待して入学したら、一ヶ月と経たない内にこの学校にそんなものはない、と悟りました。もし、今年冬海ゼミで清風を受験する人がいるなら、勉強ばかりの三年間に耐える覚悟が必要だと言ってあげてください。ただ、清風高校は国立・難関私立に進学するつもりならピッタリの学校だと思います。


芳 川 茂 雅  さん (冬海ゼミ9期生 93年卒)

どうも、ご無沙汰しております。そうです、私があの有名な大学院生にもなって、西谷先生に英語を教えて頂いておりました芳川です。(ゆうきと同期ですし、それもアリですよね)
しかしはやいもので、私も23になりました。(ということは、豊麿先生は2?歳ですか!?)今某大学の大学院に就職をけって通っております。どうにか希望の職につくことができることになり来年無事、修士号がとれるかどうかがもっぱらの課題となっております。
おもい起こすと、随分と長い間、西谷先生をはじめ、諸先輩方、後輩諸君にお世話になりました。私は中学の頃よりも、高校の頃のほうが、記憶に残っております。そう、「偏差値30からの大学受験」です。高校に入って生まれて初めて勉強についていけなくなり、西谷先生になきついたのは高校3年の春でした。もし、僕が冬海ゼミと無縁な人であったならば、そのまま何浪していたかはわかったものではありません。本当に感謝しております。また、苦手だった英語も文献資料がなんとか1週間もあれば読めるようになりました。冬海の英語教育にはただひたすら
感動しております。
一番冬海ゼミと西谷先生に出会えたことに、感謝することは、僕が冬海の講師を4年間させてもらえたことです。
先生の指導への熱意は教員側にたって、本当に驚かされ、尊敬し、せっかく決まった就職をけらせました(笑)。西谷先生の後ろ姿をみて教員という職を目指そうとおもい、大学院にあがりました。大学院進学の理由は、「教員たるものは圧倒的な知識量を身につけていないといけない!」というただそれだけの理由です。西谷先生の知識量はすごい!!だからこそ、生徒達に安心感と希望を与えることができるのだと講師生活4年間の間に肌身でかんじさせて頂きました。そして、無事教員の採用がきまり、僕も再来年から高校の社会科の「先生」となります。僕の目標の教師像は西谷先生です!!おいつけるよう、今まで以上に修練を積み、常に知識の探求を忘れないでいようと思います。
さいごになりましたが、これからも冬海ゼミが一人でも多くの勉強に困っている中高生を救い、やればできるという信念を与えてやれる塾であることを望むとともに、ますますの御発展をお祈りしております。
P.S もーりー、ホームページみたよ、また、パオーンなおや、まかちゃん、ゆうき、よね、たぶちと共にのみましょう!!

afaye008@oct.zaq.ne.jp


三 差  学  さん(冬海ゼミ14期生 98年卒) 

お元気でしょうか?私は中学生のころと変わらず元気でやっています。こんな私も高校3年生になり受験生となりました、しかし、全く勉強をしていないので、かなりやばいです。しかし、未だにあの夏期講習の強烈さを覚えています、それと教室の片隅に置かれた竹刀、まだ置いてあるんですか?一生使われることが無いように祈ってます。今年の3年生もあの夏期講習に耐えたなら志望校に受かるでしょう(^。^)
P.S 先生いくら元気といっても信号は守りましょう、危ないですよ。では体に気をつけてがんばってください。

misasi-m@fa3.so-net.ne.jp

《いただいたメールの送信者名が「三差大魔王」でした。笑わせていただきました。相変わらずやね。/西谷》


角 屋   健  さん(冬海ゼミ13期生 97年卒)

西谷先生 お元気ですか? 卒業生の角屋です。僕は今 アメリカのシアトルに留学して勉強をしています。
先日、ミッド・タ−ムのテストが終わりました。次の学期からは大学の授業を取っていけそうです。

今こうやって英語を武器に出来ているのも 「冬海ゼミ」のお蔭だと想っています 英語を好きになったのは
忘れもし無いあの夏の錬成の頃です 練成の中の「独立学習」のプリントをこなして行く内に だんだん英語が解る様になって好きになりました。

この先は今のカレッジを卒業した後に、他の大学にトランスファ−してその大学を卒業するつもりです。此方の大学は卒業するのが難しいと聞きますが、卒業出来る様に頑張って行きたいと想っています。また 留学したい生徒が居れば、微力ながら何かアドバイス出来ると想うんで連絡下さい。
では、お体には気を付けて頑張って下さい。

AreaTK@aol.com


新 井 貴 三 さん (冬海ゼミ11期生 95年卒)

いやあ、ほんとにお久しぶりですね。年賀状でホームページの件を知り、早速みてみたところ、みごとにでましたよ。東海銀行のページが・・・・・。だから k じゃなくて c やったんですね。
僕のところは西条という盆地のため非常に寒く、洗濯機のホースが凍ってたりして結構大変です。あと学生街のため施設がほとんどなく、することがなんにもないですね。
ところで大教大の生徒はあれからはいってます?なんか相談にのれるかもしれないので、もしいたらなんでもきいてください。ちなみに同窓のS君に正月会いました。話し方が気持ち悪くなったいがいに外傷はなく元気みたいです。
いまは一番忙しい時期でしょうけれどお体に気をつけてがんばってください。
P.S. まだ竹刀のほうは飾ってあるのでしょうか。いつまでも装飾用であることを心からいのっています。

u1141005@hiroshima-u.ac.jp


C.M.さん (女性 冬海ゼミ6期生 90年卒)

西谷先生、こんにちは。ごぶさたしていますが、お元気ですか?相変わらず大きなお体でエネルギッシュに講義なされてることと思います。私は、今、秋田大学で医学生をしています。夢をかなえつつあるのも中学時代に西谷先生に鍛えていただいたお陰だと感謝しています。あの頃のことを思い出すととても懐かしいです。同級生の皆さんは今どうしておられるのでしょうか。いつかまた遊びに行かせてください。くれぐれもお体にはお気をつけください。


横 川 薫  さん(旧姓 清川さん 冬海ゼミ2期生 86年卒)

西谷先生、大変ご無沙汰しております。中学3年の時にお世話になり、その後採点のお手伝いをさせていただいてから、10年以上経ってしまいました。先生の授業の思い出といえば、授業内容もさることながら、名語録が印象的でした。「シイタケ耳」「目が死んでいる」等、卒業後もよく使わせて頂きました。
現在私は、某府立高校に勤務しております。いわゆる「保健室の先生(養護教諭)」という職種です。お世話になっていた頃には想像もできなかった進路を取り、あっちへふらふらこっちへふらふらしつつ、この職業についてしまいました。採用されたばかりの頃は、高3生と4才しか離れていず、話も気持ちも通じていたのですが、今では彼らが時々宇宙人の様に見えます。ご多分に漏れず、本校も職員は超高齢化が進んでいて、勤続7年目の今も年齢は下から勘定して2番目(全職員90名程度中)です。いつまでも若いつもりでいましたが、現実は厳しいですね。
結婚するまで実家におりましたので、針中野周辺にはよく出没していたのですが、藤井寺に引っ込んでからはなかなか足を運ぶことも難しくなりました。また、先生にも、同期の方にもお会いしたいと思っております。(頂いたプリント類は、いまだに大事にとってあります。)
なかなか針中野方面に出向くきっかけがないのですが、機会があれば新しい冬海ゼを訪ねてみたいと思います。昨年5月に長男が生まれましたので、また10年余後にはお世話になりたいと考えています。先生、お元気でいらしてください。

hogochon@mue.biglobe.ne.jp




村 上 智 香 さん (冬海ゼミ15期生 99年卒) 

お久しぶりです。そして明けましておめでとうございます。年賀状ありがとうございました。去年までの3年間のつらかった日々が思い出されました。けど冬海のおかげで今の高校に通えていると思ってます。ありがとうございました。今になってもっと勉強しといたらよかったと思いはじめました。ちゃんと毎日予習・復習してたら・・・って、思うだけで今もしてないんですけどね。もう授業わからなくなってます。かなりヤバイです、はい。ちょっと冬海のページを見たことですし、去年を思い出して勉強しようかなと思います。ではではこれからもがんばってください。今の3年生が私立、公立とも全員受かるよう祈っています。

afagf403@oct.zaq.ne.jp


T.I. さん(冬海ゼミ2期生 86年卒)

お元気ですか?たまたまホームページの検索をしておりましたら冬海ゼミのホームページを見つけました。なんとそこには卒業生のページがあるではないですか。早速メールしてみました。
たいへんご無沙汰をしております。時々、仕事で針中野周辺に行きますので、いつも一度お伺いしようと思うのですが、なかなかタイミングが合わずに実現できません。かれこれ私が冬海ゼミを卒業して10年以上も経ち、大学時代は講師として4年間お世話になりました。それからですともう5年ほどお会いしていないことになりますでしょうか。卒業生のページを読んでいるといろいろと思い出します。
私は現在の会社(最近世間を騒がしている商社ですので本当にに不安ですわ)に入社し大阪に配属され今も同じ部署におり非鉄金属の輸出入をやっております。仕事上、海外出張に行く機会も多く (一時期に比べるとかなり減りましたが・・これも経費の大幅削減の影響ですが・・・悲しい) 多忙な日々を送っております。
できれば夏期錬成中にでもお伺いして近況報告でもさせて頂きたいと思います。


新 納 まゆみ さん(旧姓 牟禮さん 冬海ゼミ5期生 89年卒)

西谷先生、お元気ですか? 随分とご無沙汰しております。ホームページの開設おめでとうございます。 こんな風に冬海ゼミの情報が分かるなんてとてもうれしいですね。画面を見ながら一人ケラケラ笑っています。

私はもう看護婦として働いて4年が過ぎました。その間に結婚もし、なんと子供も生れました。子供は現在8ヶ月、 かわいいさかりなのですが、目が離せなくて大変でもあります。冬海ゼミで事務のバイトをさせていただいていた頃が すご〜くなつかしいです。「はい、冬海ゼミでございます。」な〜んて電話口に出てしまいそうな…。先生、うちの子供(圭市)も将来よろしくお願いしますね。それまであと12年はがんばっていてくださいね。年のことなど考えずに…。それでは、またホームページ見させていただきます。

hatch@netplus.ne.jp


大工舎  薫  さん(冬海ゼミ3期生 87年卒)

お元気ですか。ホームページを開設されるとはさすがですね。私は結構前から、パソコンを持ってるんだけど、怠けて、メールもインターネットもほとんどやっていません。なにしろ、ノートパソコンをいちいち電話のところへ運ぶのがめんどくさくて。まあ、時間がないというのもあるのですが。このたび、友達がイギリスに留学したので、これを機にちょっとまじめにしようかなと思いはじめたところです。

先生には、いつも会いに行きたいと思っているのですが、いつも行けずじまいになってしまっています。もう、かれこれ5年くらい会っていませんよね。私はあまり変わっていませんが。最近は、遊んでばっかりかもしれません。今年の冬はめっきりスキーにはまってしまい、信州に9回も行きました。滑走日数は27日!!2月全部スキーしてた計算になります。こんなに遊んでる年ではないのですが、まだまだ野望は続きます。スカイダイビング、富士山登山、フルマラソン(ハーフは3回走った)、そして、去年から始めたエレクトーンと去年から目覚めたスキーでグレード(級)を取ること・・・などなど・・・

もちろん、仕事もがんばっています。今話題の環境ホルモンの仕事で大忙しです。環境庁とかがいっせい調査を始めたりしたので。もう、6年目なので単に仕事が出来るだけでなく、色々と身に付けていかねばと思っています。

それでは、お仕事がんばってください。

daichan@gc4.so-net.ne.jp


豊麿 憲吾 さん(冬海ゼミ3期生 87年卒)

いかがお過ごしでしょうか。例年通り、忙しくされておられると思います。ひとまず、私立高校全員合格おめでとうございます。(よかった、よかった)

私のほうはと言いますと、昨年の三月に勤めていた事務所を退職し独立して以来、なかなか厳しい状況に日々苦戦しておりますが、相変わらず仕事は楽しんでやっております。ちなみに、近々事務所登録も考えておりまして、自分の事務所(といっても自宅になりますが)と現在、継続的に行っている仕事の「二足のわらじ」を履き分けることも企画中です。また、どなたか新築・改築・増築・リフォーム等の設計のお話があればご面倒でなければご紹介ください。(かなり、営業メール)

そちらの状況はいかがですか?私が講師として在籍しておりました三年前までとくらべて、かなり若返ったフレッシュな(この言葉を使うところがオヤジくさくて、ニクイね。おまけに、粋だね。)空気で満ち溢れていることと思います。(いや、そう信じたいだけかも)そして、今後もそのように《冬海ゼミ》は発展していくのでしょう。(うーん、どうかな:西谷氏談)                                 

maro-ken@pop.21.odn.ne.jp

 《これをご覧の方で新築・改築・増築・リフォームをお考えの方はぜひ豊麿(とよまろ)氏にメールを送って相談してみてください。腕とセンスの確かな一級建築士です。歌もうまいです。/西谷》


もりした さん(冬海ゼミ9期生 93年卒)

冬海ゼミもホームページを開設なされたということで嬉しいかぎりです。冬海ゼミを卒業して早いもので6年くらいでしょうか。過ぎ去りし日を思い起こせば、当時僕は何だかわけのわからないまま入塾し、週に何度か中学の授業が終わってから自転車で登校していたのを覚えています。僕はすごく不真面目な生徒で、先生方には大変迷惑をかけていました(苦笑)。正直、勉強は大嫌いでしたから(笑)。そして冬海ゼミに高校へ入れていただき、今は第1志望の大学へと通っています。それにしても今でも時々思うのですが、錬成の独立学習で、その日その日の席をあの例の小テストによる、こなしたテスト枚数での決定するのは画期的だったと思います。勉強嫌いの僕でもあの時間は楽しく勉強でき、またあのシステムのおかげで高校に合格できたと思ってます。それでは先生ももうお年ですのであまり無理をなさらずにこれからもがんばってください。

もりしたさんのホームページは http://www.geocities.co.jp/Broadway-Guitar/2644


乾  裕美子 さん(冬海ゼミ6期生 90年卒)

近頃寒くなってきましたがいかがお過ごしですか。先日、早速冬海ゼミのホームページを拝見いたしました。思えば私も9年前の今ごろは冬海ゼミで一生懸命勉強していたんだなぁと、懐かしく思います。でも、9年も経っているのですね。月日の経つのは本当に早いと思います。あの時いっしょに勉強していた同級生の子達はみんなどうなってるのでしょうね。先生にもまたお会いしたいです。


西田 健一 さん(冬海ゼミ7期生 91年卒)

中学3年間お世話になった冬海ゼミもホームページを持つようになり驚いています。僕が中学を冬海ゼミを卒業したのが8年前になりますし、中学1年からお世話になっているので、かれこれ10年前になります。僕がこちらに入学したときは確か中学1,2年生を初めて募集するときで教室もきれいだったことを覚えています。場所も今と違って中野中学に近く家からも少し遠かったせいもあり、帰りによく寄り道してました。授業は大変すばらしくといいたいところですが、記憶力が悪いのかほとんど覚えていません。少ない記憶の中から覚えていることと言えば、中学3年の時の因数分解のテストで必死に覚えたこと、夏の錬成講座で社会や理科のプリントをいやと言うほど覚えさせられたこと、ややこしい数学のプリントを何度も何度もインストラクターの先生に持っていったことなど、楽しくない思い出ばかりです。しかし、そういった苦労が高校受験という壁の突破という成功を導いたことに他ならないと思います。自分自身も希望の高校に合格できるかと言うことは、試験が終わった後でも不安でしたが、その不安をかき消してくれたものはあの時の苦労だったのではないでしょうか。そして、その中でも支えとして西谷先生の存在は大きかったと思います。授業の時は厳しいところもあり、注意されることもありましたが、それは愛情の裏返しで今思えばいい思い出だったなと思い返せます。 

冬海ゼミを卒業後、希望の高校に入学し、その4年後(一年間浪人はしましたが、)第一希望の大学に入学することができました。現在大学の4回生で今年の4月からは東京で就職することが決まっています。また、大学入学当初からこの冬海ゼミで講師としてお世話になっており、今まで自分が教わってきたことを生かし「後輩」の指導をしています。冬海ゼミの卒業生は、500人ほどと聞いています。その何人がこのホームページをご覧になっているかはわかりませんが、このホームページを通じて卒業生の皆様と交流を図れたらと思っております。

fseed@ingnet.or.jp

村井 扶 さん (冬海ゼミ8期生 92年卒)

でっかいからだの先生もそろそろ年ですから体には気をつけて、頑張って下さい。

tsk@mve.biglobe.ne.jp

西田恵理さん (旧姓木村道子さん 81年卒)

西谷先生、お元気ですか?先生の授業を受けたのはもうかれこれ20年ほど前になります(^_^;) と申しましても冬海ゼミではなく、先生が以前にお勤めされていた塾でなのですが・・・・先生には主に数学を教えて頂きました。学校の授業はあまりおもしろくなかったのですが、塾での数学だけは大好きで、自分でいうのも変ですが本当によく勉強しました。先生の強烈な??印象は長い指で持つ独特のチョークの持ち方と美しい字です。他にもたくさんあるのですが、長くなりそうなのでまた改めて・・・ということで。もう早いもので3人の男の子の母となりました。昼間は派遣社員でデータエントリーの仕事をして、夕方より自宅でたこ焼屋を開業しています。

FZZ01742@nifty.ne.jp


市川陽子さん (冬海ゼミ6期生 90年卒)

私は、正月から働いてます。さんがにち、ずっと働きます。今はNICU(新生児集中治療室)に勤務しています。保健婦学校を受けて保健婦になろうと思っています。

yoko-ichikawa@amy.hi-ho.ne.jp

今村ひとみさん (冬海ゼミ5期生 89年卒)

姉妹ともども冬海ゼミにお世話になり、本当にありがとうございました。あのときに夢中で覚えた単語や知識は薄れていますが、同時に身につけた忍耐力は25歳となった今でも健在です。現在は監査法人に勤め、毎日忙しいけれども、楽しく過ごしています。

i-hitomi@pat.hi-ho.ne.jp